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SPECIALインタビュー

山田洋次監督『男はつらいよ』45周年特別企画

誰もが憧れたあの“懐かしい風景”は、
もうない。

yamadakantoku

『男はつらいよ』全48作をとおして、日本人の心の風景をカメラに収めてきた山田洋次監督。そこに映し出されていたのは、いつも絵はがきに登場するような美しい風景ではなく、その地で生活する人々の昔ながらの暮らしの風景だった。しかし、映画の撮影が行われた29年の月日は、そうした“懐かしい風景”が消えていく歴史でもあったという。

 

「48作の間、僕たちは痛々しく見つめてきたよ」と山田監督。

 

「いつの頃からかシャッター通りが増えてきて、寅さんがぶらぶら歩くにはあまりにも寂しい風景になってしまった。撮影の時はシャッターを開けてもらって、小道具さんが品物を運び込んで…。映画のために賑やかな情景を作り出すということがよくありました」

 

  寅さんが旅するのは、お店が並んでその前の道路で子どもたちが遊び、学生が大声をあげながら学校に通い、おばちゃんたちが井戸端会議をしている、そんなあたたかい町。昔は当たり前にあったコミュニティが、現在の日本では見つからなくなっていると監督は寂し気に話す。

 

「暮らしのある風景が寅さんにとっては大事だったからね。旅先でいろんな人と知り合う、友達になる、なかには美人もいたりする。みんな、その町で暮らす人々なんだよ。ひとつの町が町として成立するために、僕は三代に渡る付き合いが必要だと思っています。葛飾柴又がそうなんだけど、『あそこのじいさんは酒呑みだった』、『おまえんとこのばあさん、昔は美人だったよ』という会話が住民の間で交わされている。そういうコミュニティを、町と呼ぶんじゃないのかな」

 

  長きにわたって寅さんが愛され続けているのは、誰の中にも映画で描かれた“町の暮らし” への憧れがあるからだろう。現実にはなくなってしまった家族、隣近所の愉快な付き合いへの狂おしいばかりの懐かしさ、とでもいうか。

 

「今、日本人が長い時間をかけて作ってきた“町の暮らし”というものが消えてしまった。経済大国にはなったけど、それで本当に幸せなのかって疑問に思います。僕の少年時代を振り返ると、お肉屋さん、魚屋さん、八百屋さん、米屋さん、酒屋さん、みんなの顔を思い出せる。子どもたちはお店屋さんのある環境で成長することが必要なんじゃないのかな。大型スーパーで買い物し、映画を観るのはシネコンかDVD。そんな子が、寅さん映画を観て『日本人はついこの間までこんな暮らしをしていたんだな』って気が付いてくれたらうれしいね」

 

(続きはロケーションジャパン65号で)

 

【PROFILE】 山田洋次監督

1931年、大阪府生まれ。少年時代を満州で過ごす。東京大学法学部卒業。1954年に松竹大船撮影所に入社。68年、テレビドラマ『男はつらいよ』の原案・脚本を担当。69年から97年まで国民的映画『男はつらいよ』シリーズを監督。その他、『学校』シリーズ(93~2000)、『たそがれ清兵衛』(02)、『武士の一分』(06)、『母べえ』(08)、『おとうと』(10)、『東京家族』(13)、『小さいおうち』(14)など作品多数。11年日本芸術院会員。12年、文化勲章を受章。

 

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